台湾地震ー72時間の壁ー


台湾東部の花蓮市で2月6日23時50分(日本時間7日0時50分)頃、マグニチュード6.4の地震が発生。現地のホテルなど複数の建物が倒壊・損壊。現在までに9人が死亡、日本人を含む200人以上が負傷し、まだ連絡のつかない行方不明者が多数いる状態が続いているという。現地では余震も200回以上を数えており、二次災害の危険もある。そんな状況の中、現場では懸命の捜索が続いている。行方不明者の数はいまだ50人以上。倒壊・損壊した建物の中に閉じ込められている可能性が高い。しかし明日の夜には災害医療分野で生存の限界と言われる「72時間」を迎える。いわゆる「72時間の壁」である。一人でも多くの要救助者を救うための「時間との戦い」。ピンポイントで要救助者にアプローチする必要がある。そのためのスペシャリスト7人が、今日8日午前、台湾政府の要請を受けて日本から現地へ向かった。午後には現場での捜索に加わったという。活躍に期待したい。以下、これまでにあった出来事を一部ツイッター投稿で時系列にまとめておく。台湾加油!


月命日(女川町消防団出初式|津波避難の合言葉)


2018年1月5日女川町消防出初式が新しく整備されたJR女川駅前を中心に開かれた。女川町の出初め式は東日本大震災後、女川魚市場周辺で行ってきたが、今年は復興が進む町中心部に会場を移して初めて実施。震災後これまでは規模を縮小して行なわれていた行進出初式も、今回は110名の消防団員と15台の車輌を動員して行われ、そのパレードも復活した。最後には写真にもあるように色とりどりの一斉放水がイベントに花を添えた。

あの日あの時。インド隊と女川町消防団は現場で連携して行方不明者の捜索に当たっていた。事前の取り決めとして、行方不明者が発見された時は、まずは現場にいる警察に報告、そして現場での検証が済むと、女川町消防団の車両の出番となる。ブルーシートに包まれた行方不明者を車両に載せて、ご遺体を遺体安置所まで運ぶ。その役割をこの車輌が担っていた。

女川町消防団の緊急車両
女川町消防団の緊急車両

あれから今日で6年と10ヶ月。町とともに町の組織も徐々に整いつつある女川町。最後に女川消防署のこちらの標語をご紹介して結びとしたい。
(以下、女川消防署HPより一部抜粋)

津波避難の合言葉は・・

みなさん、子どものころ、火災避難訓練の時に、合言葉として「おはし」(「お」 おさない・「は」はしらない・「し」しゃべらない)と教えられ、避難した記憶 があると思います。

そこで女川消防署では津波避難の合言葉として「ひもでひく」を提案し今後 の津波での被害を食い止めたいと考えています。

○ひ ・・「避難を呼びかける」 避難しながら周りの人達に避難を呼び掛けてください。

○も ・・「戻らない」 一度避難したら自宅等に忘れ物をしても絶対に戻らないでください。

○で ・・「できるだけ高い所に逃げる」 津波の高さは予想を超えることがあります。できるだけ高い所へ逃げてください。

○ひ ・・「引き止める」 自宅等へ戻ろうとする人がいたら、戻らないように止めてください。

○く ・・「車に頼らない」

車で避難しようとすると渋滞が起き、避難に時間が掛かってしまい ますので、車での避難はできるだけ避け、徒歩や自転車等で逃げる ようにしてください。

(了)


月命日(旧女川交番について)


今日12月11日は東日本大震災から6年と9ヶ月目の月命日。それに先立ち女川町では10日、震災の大津波により横倒しとなった「旧女川交番」について、一帯は5メートルの高さに盛り土してメモリアル公園として整備するものの、交番が横倒しになっている所だけは、被災の様子や津波のすさまじさを正確に伝えることを重視して、①盛り土をせずにそのままの状態で保存すること。②周囲の高さから「交番」まではスロープを設けて近づけるようにし、スロープの壁には震災から復興までの道のりを伝えるパネルなどを展示すること。などの保存方法の方針を、震災当時近くに住んでいた住民らに、町の職員が現地で説明会を実施。交番を遺構として整備する費用はおよそ4000万円が見込まれ、2020年7月までに震災遺構として整備される。

インド隊NDRFが行方不明者の捜索に入ったときは、現場にはまだ「旧女川交番」のほかに「江島共済会館」「女川共同ビル」の合計3つのビルが横倒しとなった状態で残っていた。部隊はすべての建物の内部もくまなく捜索。残念ながら行方不明者の発見までには至らなかったが、物言わぬそれら横倒しになった建物が、そのときあった多くの出来事を静かに物語る。(了)

津波被害 女川共同ビル
津波被害 女川共同ビル
津波被害 江島共済会館
津波被害 江島共済会館
がれき撤去後 江島共済会館周辺
がれき撤去後 江島共済会館周辺


コバルトーレ女川


コバルトーレ女川。このサッカーチームをご存じだろうか。コバルトーレ女川は平成18年4月にアマチュアサッカーチームとして誕生。宮城県女川町を拠点としたサッカーチームで、現在は東北社会人リーグ1部に所属する。そのコバルト―レ女川は本日11月26日JFL昇格を決める大一番を迎える。

平成23年3月11日午後2時46分東日本大震災が発生。その後の津波により壊滅的な被害を受けた女川町。人口約1万人に対して1割の人が津波の犠牲となった。その中の1人に佐藤順子さんがいた。震災前、順子さんはコバルト―レ女川のスポンサー企業である蒲鉾本舗髙政に勤務していた。そこに当時21歳のコバルトーレ女川ゴールキーパー、泉田圭太さんがやって来る。順子さんは同じ職場の同僚として、コバルトーレ女川のサポーターとして、ときに「女川のお母さん」として泉田さんをバックアップ。泉田さんも徐々に職場に溶け込めるようになっていく。そんな中で起こった東日本大震災。泉田さんは高台に避難して無事だったが、順子さんは…そのストーリーは2014年11月25日(火) に放送されたNHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』に詳しい。

地方発ドキュメンタリー我らが“被災地サッカーチーム”

一方で僕と佐藤順子さんとの出会いは2012年2月、正確に言えば2011年4月2日、順子さんの息子、佐藤行義さんとの出会いにさかのぼる。あの日あのとき行義さんから『俺のおっかあを見つけてほしい』そういった要望がなければ、この出会いはなかっただろう。その様子はこちらの新聞記事をご覧いただきたい。その場で順子さんはインド隊の手により発見された。

■【東日本大震災】諦めない捜索に感謝の声インド隊、初の国外派遣(2011年04月02日付共同新聞)

それから1年後の2012年2月、僕は初めて写真の中の順子さんと対面した。穏やかで優しい笑顔がとても印象的だった。そして次に偶然順子さんと再会したのが、2014年11月NHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』番組放送中だった。映像には順子さんの娘、和田祐子さん(行義さんの妹)の胸にしっかりと抱かれた、在りし日の順子さんの姿があった。いつまでも変わらぬ穏やかで優しいあの笑顔…番組での祐子さんによると、コバルト―レ女川の女川で行われる試合には、必ず順子さんの遺影を持って行くのだという。そこで僕は初めて順子さんがコバルトーレ女川の熱烈なサポーターであったことを知った。

そして、今日午前10時45分。まもなく全国地域チャンピオンズリーグ2017決勝ラウンド第3戦、コバルト―レ女川vsアミティエSC京都 がはじまる。場所は千葉県市原市のゼットエーオリプリスタジアム。これに勝てばコバルトーレ女川がJFLに昇格する大事な試合。順子さんも選手たちの活躍を、きっと天国から見守っているに違いない。

コバルトーレ女川元ゴールキーパー、泉田圭太さん。
蒲鉾本舗髙政に勤めていた佐藤順子さんは、泉田圭太さんの同僚であり、よき理解者”女川の母”であり、コバルト―レ女川の熱烈なサポーターだったという。
2012年2月仮設住宅にて。順子さんの息子、佐藤行義さん。
順子さんの娘、和田(旧姓佐藤)祐子さん。

P.S 試合の模様は有明放送局で無料ネット中継される予定なので、是非試合を見て応援していただきたい。ネット中継放送局のURLはコチラ → http://ariake.tv/live/


月命日(東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい)


今日11月11日は東日本大震災から6年と8ヶ月目の月命日。今日は横浜みなとみらいの臨港パークでこちらのイベントが開催されます。

女川港大漁獅子舞まむしさんによる獅子舞(獅子振り)は午後12時45分からです。

女川の復興のいぶきを感じるまむしのステージを、横浜のはまかぜとともにお楽しみください!

11月11日(土)10:30~14:30 雨天決行
臨港パーク(パシフィコ横浜・屋外エリア)
・「みなとみらい」駅徒歩5分
・「桜木町」駅徒歩12分

東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい②
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい②
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい③
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい③
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい④
東日本大震災・復興支援まつり2017inみなとみらい④

今日11月5日は津波防災(世界津波)の日です。


今日11月5日は津波防災(世界津波)の日です。その由来や各地の啓蒙・啓発イベントの情報はこちらの内閣府リンクをご参照ください。

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  防災情報のページ > 地震・津波対策 > 津波防災 > 津波防災の日(11月5日)について http://www.bousai.go.jp/jishin/tsunami/tsunamibousai/tsunamibousaiday.html

また、本日は東京大学(伊藤謝恩ホール)にてこちらのイベントが開催されます。詳しくはこちらのリンクをご参照ください。

津波防災スペシャルゼミin本郷~津波について学ぼう~(日本語)(英語)

津波防災スペシャルゼミin本郷~津波について学ぼう~
津波防災スペシャルゼミin本郷~津波について学ぼう~

津波防災(世界津波)の日
11月5日は津波防災(世界津波)の日

なお、11月5日は世界津波の日でもあります。詳しくは国連のこちらのサイトをご参照ください。

World Tsunami Awareness Day 2017 http://www.unisdr.org/2017/tsunamiday/

World Tsunami Awareness Day 2017
World Tsunami Awareness Day 2017

最後に今日11月5日はちょうど1年前の2016年にこのサイトを立ち上げた日でもあります。これからもサイトのテーマに沿った関連情報を発信していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(了)


第1回インド女川学会を終えて


第1回インド女川学会を終えて。今回は初めての試みということもあり、始まるまではどうなるかが正直わからなかった。しかしながら、いざやってみると思い描いた通りの成果のあった会合となった。振り返りの意味も込めて、ここで簡単に当日行われたプログラムを整理したい。

まず、開会のことばから。当日は台風21号接近による影響であいにくの雨模様。参加者の出足も多少鈍っていたため、開始時間を10分ほど遅らせてのスターとなった。

一つ目の発表は私、平本による女川町ついての発表。東日本大震災被災直後の女川町の様子を、画像と動画とともに振り返り、そこにインドから行方不明者の捜索のために派遣された、インド国家災害対応部隊NDRFの活動を、時系列に絡めつつ、それをプレゼン資料とともにご覧いただいた。そして、最後に現場から得られた経験に基づく、今後の災害に対する防災・減災へのヒントについて、実話の中でお話させていただいた。

二つ目の発表はインド大使館職員渡邊太一氏によるインドについての発表。インド全般についての基本的な事柄を、わかりやすいプレゼン資料とともにご紹介いただいた。インドの文化・経済・宗教は言う及ばず、インド国家災害対応部隊NDRFの成り立ちや組織について、震災以降に始まったインドと女川との交流についても詳しくお話をいただいた。

三つ目の発表は平本・渡邊の2人で女川町の魅力について、私たちも参加をし、2014年からスタートした、國學院大學研究開発推進機構学術資料センター主催「國學院大學金華山女川スタディーツアー」の報告を軸に、発表をさせていただいた。具体的には被災直後の金華山黄金山神社の映像や、そこでの学生ボランティア活動などをご覧いただきながら、観光地としての金華山の魅力を紹介、渡邊の方からは新しく生まれ変わった女川駅前商店街「シーパルピア女川」に店を構える店舗のご案内、私からはその商店街の一角に位置する「女川さくら咲く地蔵尊」のご紹介をさせていただいた。

四つ目の発表は今回特別に招聘したインド大使館VCC専属ヨガインストラクター、へマント・シャルマ博士による「健康のためのヨガ」のレクチャーとデモンストレーションおよび実践からなるワークショップ。今回の学会の最後に長時間お付き合いをいただいた参加者や被災地にいる被災者の心と体の健康と疲れを癒すための方策としてのヨガを実践していただいた。レクチャーおよびデモンストレーションは基本的には英語で行われたが、レクチャーに用いられたプレゼン資料には日本語が併記されており、またデモンストテーションでは適宜英日通訳を入れさせていただいたので、問題なく参加者の皆様にヨガの奥深さと素晴らしさを、実際に感じそして触れていただけたのではないかと自負しています。その模様は在日インド大使館公式フェイスブックと、同公式ツイッターにも掲載されましたので、一部ご紹介いたします。

へマント・シャルマ博士の発表のあとは、時間も押していた関係で、流れ解散のような形になりましたが、今回の第1回インド女川学会の成功を受けて、今後2回、3回は女川町あるいはインドで開催するのも一考だとも思いました。最後にお足元のお悪い中、今回の会場である國學院大學渋谷キャンパスまで足を運んでいただきました、参加者の皆様ならびに、ご協力をいただきました関係者の皆様全員に、心からの感謝を申し上げたい思います。どうも有り難うございました。(了)


第1回インド女川学会


いよいよ明日10月21日(土)午後1時に開催です。当日は全国院友会支部物産展も同時開催、女川町の物産も販売されます。

※本学会は2017年日印友好交流年記念事業として外務省より認定を受けております。(認定番号JI056)http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page25_000627.html

※※公益財団法人 日印協会 様 にもご紹介をいただきました。http://www.japan-india.com/release/view/900

皆さまのご来場をお待ちしております。

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

 

インド女川学会設立趣意書

2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分。未曽有の大災害「東日本大震災」が発生。世界各国から支援の手が差し伸べられた。その中の一国である「インド共和国」。近年の経済的発展を背景に友好国日本の危機的状況を鑑み、自国で実績のあった人命救助のスペシャリスト集団「インド国家災害対応部隊 NATIONAL DISASTER RESPOSE FORCE」(通称 NDRF)の国外派遣を決定。総勢 46 名の NDRF 部隊を被害の大きかった宮城県女川町に派遣した。今年であれから 6 年。被災地では復興が進む半面、時の流れとともにその出来事が風化しつつある。実際 2013 年より毎年行われている國學院大學研究開発推進機構学術資料センター主催「金華山女川スタディーツアー」の学生参加者も、開始当初は多くの参加者があったものの、その数は減少傾向にあり、昨年度は 1 人となった。

一方、震災をきっかけに始まった女川町とインドの友好関係は年々活況を呈しており、今年も 5 月に行なわれた NPO 法人日印交流を盛り上げる会主催「ナマステ・イン・女川 2017」は大いに盛り上がった。しかしながら、インドと女川との関係について、それが東日本大震災がきっかけとなったと知るものは必ずしも多いとは言えない。ゆえに、女川を知ること。インドを知ること。それが東日本大震災の風化を防ぐことになりはしないか?それをきっかけに様々な興味と関心と角度から女川を学び、インドを学ぶ。それが相互理解と新しい日印友好の礎となりはしないか?そのような観点と趣旨により「インド女川学会」を設立するものである。皆さまの寛大なるご理解とご賛同をいただければ幸いです。

2017年 10月 21日 設立


月命日(第1回インド女川学会)


今日10月11日は東日本大震災から6年と7ヶ月目の月命日。あの日午後2時46分にM9.0、最大震度7という史上最大の巨大地震が発生。その約45分後の午後3時30分、津波が沿岸部に次々と襲いかかる。津波に襲われた町は壊滅、津波から逃げ遅れた人、避難所にいたにもかかわらず、想定外の津波に流された人、自分の命も顧みず、ギリギリまで懸命に人命救助を行った人など、多くの人が犠牲となった。震災から今日で6年7ヶ月。だが、いまだに行方不明の人も多い。町もようやく復興の途に着いた感がある。まったく手の着いていないところもある。これからさらに時間を要するところもある。その現状をどれほどの人が認識しているだろうか。

震災から2週間後の3月28日未明、インドからやって来た国際緊急援助隊46名(通称NDRF)は成田空港に降り立った。そこから約10時間をかけて宮城県へ移動。3月30日から4月5日までの7日間、宮城県女川町で行方不明者の捜索および救助救援活動に従事し、7人のご遺体と1匹の犬の遺骸を発見していたことをどれほどの人が認識しているだろうか。あの日現場で一体何があったのか。それらの出来事から私たちが学ぶ事は多い。近い将来必ず来るであろう次の巨大地震への防災・減災対策にもつながるヒント。それを活かさなければまた同じことの繰り返しになってしまう。

正しい認識につなげるため、自戒と教訓の意味を込めて、この度10月21日(土)國學院大學ホームカミングデーの場をお借りして、「第1回インド女川学会」を開催することになりました。詳細はこちらのポスターをご参照ください。日時はまもなく10月11日午後2時46分。犠牲者の方のご冥福と、2度と同じ悲しい思いを繰り返さぬよう、多くの方のご来場とを祈念して。(了)

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

大槌町が震災アーカイブ「~つむぎ~」を公開


東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。その大槌町が被災状況や復興の様子を後世に残し、災害の教訓を伝承するため平成29年度8月8日震災アーカイブサイト「~つむぎ~」の公開を始めた。

大槌町震災アーカイブサイト「~つむぎ~」
大槌町震災アーカイブサイト「~つむぎ~」 https://archive.town.otsuchi.iwate.jp/

同サイトはふりがなをつけたり、本文を読み上げたり、画面上の文字サイズを小さく・標準・大きくと3段階に分けて表示できる。インターネットを通じてパソコンやスマートフォンなどで閲覧できるほか、同町末広町に来年3月完成予定の複合型施設「おしゃっち」の2階に震災伝承室を整備。電子機器を利用する機会のない高齢者向けに液晶タッチパネルを設置する予定だという。実際に使ってみたが、読み上げ機能以外は特に問題なくアクセシビリティ機能と対応が充実しているのが特長だ。読み上げでは若干不自然なところが見受けられたが、ITプログラム技術の発展にともない、徐々に改善していくだろう。今後は資料を更新しながら県や国立国会図書館の震災アーカイブとの連携も図るという。(以下、9月28日付岩手日報より)

国立国会図書館の震災アーカイブといえば、このサイトにもリンクしてあるが、国立国会図書館東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」-  http://kn.ndl.go.jp/#/ で、インド隊NDRFの日本での行方不明者捜索の活動状況を示す写真も数百点収められている。写真は同サイトのキーワード検索、「インド」「女川」「NDRF 」などのキーワードで検索ができる。こちらも災害に関する今後の教訓の伝承や、防災教育に役立てていただければ幸いだ。