コバルトーレ女川


コバルトーレ女川。このサッカーチームをご存じだろうか。コバルトーレ女川は平成18年4月にアマチュアサッカーチームとして誕生。宮城県女川町を拠点としたサッカーチームで、現在は東北社会人リーグ1部に所属する。そのコバルト―レ女川は本日11月26日JFL昇格を決める大一番を迎える。

平成23年3月11日午後2時46分東日本大震災が発生。その後の津波により壊滅的な被害を受けた女川町。人口約1万人に対して1割の人が津波の犠牲となった。その中の1人に佐藤順子さんがいた。震災前、順子さんはコバルト―レ女川のスポンサー企業である蒲鉾本舗髙政に勤務していた。そこに当時21歳のコバルトーレ女川ゴールキーパー、泉田圭太さんがやって来る。順子さんは同じ職場の同僚として、コバルトーレ女川のサポーターとして、ときに「女川のお母さん」として泉田さんをバックアップ。泉田さんも徐々に職場に溶け込めるようになっていく。そんな中で起こった東日本大震災。泉田さんは高台に避難して無事だったが、順子さんは…そのストーリーは2014年11月25日(火) に放送されたNHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』に詳しい。

地方発ドキュメンタリー我らが“被災地サッカーチーム”

一方で僕と佐藤順子さんとの出会いは2012年2月、正確に言えば2011年4月2日、順子さんの息子、佐藤行義さんとの出会いにさかのぼる。あの日あのとき行義さんから『俺のおっかあを見つけてほしい』そういった要望がなければ、この出会いはなかっただろう。その様子はこちらの新聞記事をご覧いただきたい。その場で順子さんはインド隊の手により発見された。

■【東日本大震災】諦めない捜索に感謝の声インド隊、初の国外派遣(2011年04月02日付共同新聞)

それから1年後の2012年2月、僕は初めて写真の中の順子さんと対面した。穏やかで優しい笑顔がとても印象的だった。そして次に偶然順子さんと再会したのが、2014年11月NHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』番組放送中だった。映像には順子さんの娘、和田祐子さん(行義さんの妹)の胸にしっかりと抱かれた、在りし日の順子さんの姿があった。いつまでも変わらぬ穏やかで優しいあの笑顔…番組での祐子さんによると、コバルト―レ女川の女川で行われる試合には、必ず順子さんの遺影を持って行くのだという。そこで僕は初めて順子さんがコバルトーレ女川の熱烈なサポーターであったことを知った。

そして、今日午前10時45分。まもなく全国地域チャンピオンズリーグ2017決勝ラウンド第3戦、コバルト―レ女川vsアミティエSC京都 がはじまる。場所は千葉県市原市のゼットエーオリプリスタジアム。これに勝てばコバルトーレ女川がJFLに昇格する大事な試合。順子さんも選手たちの活躍を、きっと天国から見守っているに違いない。

コバルトーレ女川元ゴールキーパー、泉田圭太さん。
蒲鉾本舗髙政に勤めていた佐藤順子さんは、泉田圭太さんの同僚であり、よき理解者”女川の母”であり、コバルト―レ女川の熱烈なサポーターだったという。
2012年2月仮設住宅にて。順子さんの息子、佐藤行義さん。
順子さんの娘、和田(旧姓佐藤)祐子さん。

P.S 試合の模様は有明放送局で無料ネット中継される予定なので、是非試合を見て応援していただきたい。ネット中継放送局のURLはコチラ → http://ariake.tv/live/