インド隊2014

あの日から3年。2014年8月インド共和国のモディ首相が初来日され、日本の安倍首相とともに様々なレベルと分野での会談が行われた。その友好の証として、また相互の文化的国際的理解と相互交流の促進を目的として、インド政府はその年の10月から翌2015年5月まで「日本に於けるインド祭」を日本で開催することを決定した。

それにともないワドワ駐日インド大使は、かねてより念願だった女川町のご訪問と、その祭典のためにインド政府から日本へ派遣された4つのインド古典舞踊団の一つ「マニプリ舞踊団」の、インド隊NDRFもかつて災害救助と行方不明者の捜索活動に従事した、宮城県女川町での公演の実現へ向け動き出す。

マニプリ舞踊は「インドの宝石」とも呼ばれる、とても煌びやかな舞踊で、奈良・東京・女川・仙台そして横浜の5会場で公演を行い、それぞれの地域で観衆たちを魅了した。

『インドの宝石女川励ます』の見出しで地元有力紙の一つ河北新報にも一面で取り上げられた、東北復興支援「マニプリ舞踊女川公演」は2014年10月16日宮城県女川町立女川小学校体育館にて午後7時30分より始まった。

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地元のハイヤータクシードライバーから日本語で東日本大震災当時の状況の説明を受けられるワドワ駐日インド大使。それを通訳する大使付き通訳の土屋さん。
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女川町にある照源寺にて。そこに奉納されている「さくら地蔵尊」参拝のあと、「女川桜守りの会」メンバーの島貫洋子さんから、その成り立ちについて紙芝居で説明を受けられるワドワ大使。
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女川蒲鉾本舗髙政万石の里本店にて。佐藤店長から震災当時のお話と、それを伺いながら、手焼きの笹かまぼこを頂く。
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女川町長室にて。2014年10月16日に女川町役場を表敬訪問されたワドワ大使。大使は須田善明町長と公式に面会した。須田町長は震災直後のインドからの人的および物的支援への謝意と、これまでの女川町の復興の現状とこれからの課題をお話いただいた。
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旧女川町立病院(現女川地域医療センター)駐車場にある「東日本大震災慰霊之碑」に向かい、静かに黙祷を捧げるワドワ駐日インド大使。海抜約14mのこの場所でさえ、巨大津波はやって来て多くの人々が命を落とした。
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女川中学校にて。女川中学校の生徒たちによって建てられた「女川いのちの石碑」を見学なさるワドワ駐日インド大使。
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女川小学校にて。授業参観をされるワドワ駐日インド大使。
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女川小学校体育館にて。無事マニプリ舞踊も終了し、当日集まった女川町民の皆さんと記念写真をお撮りになられたワドワ前駐日インド大使。

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