第1回インド女川学会


いよいよ明日10月21日(土)午後1時に開催です。当日は全国院友会支部物産展も同時開催、女川町の物産も販売されます。

※本学会は2017年日印友好交流年記念事業として外務省より認定を受けております。(認定番号JI056)http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page25_000627.html

※※公益財団法人 日印協会 様 にもご紹介をいただきました。http://www.japan-india.com/release/view/900

皆さまのご来場をお待ちしております。

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

 

インド女川学会設立趣意書

2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分。未曽有の大災害「東日本大震災」が発生。世界各国から支援の手が差し伸べられた。その中の一国である「インド共和国」。近年の経済的発展を背景に友好国日本の危機的状況を鑑み、自国で実績のあった人命救助のスペシャリスト集団「インド国家災害対応部隊 NATIONAL DISASTER RESPOSE FORCE」(通称 NDRF)の国外派遣を決定。総勢 46 名の NDRF 部隊を被害の大きかった宮城県女川町に派遣した。今年であれから 6 年。被災地では復興が進む半面、時の流れとともにその出来事が風化しつつある。実際 2013 年より毎年行われている國學院大學研究開発推進機構学術資料センター主催「金華山女川スタディーツアー」の学生参加者も、開始当初は多くの参加者があったものの、その数は減少傾向にあり、昨年度は 1 人となった。

一方、震災をきっかけに始まった女川町とインドの友好関係は年々活況を呈しており、今年も 5 月に行なわれた NPO 法人日印交流を盛り上げる会主催「ナマステ・イン・女川 2017」は大いに盛り上がった。しかしながら、インドと女川との関係について、それが東日本大震災がきっかけとなったと知るものは必ずしも多いとは言えない。ゆえに、女川を知ること。インドを知ること。それが東日本大震災の風化を防ぐことになりはしないか?それをきっかけに様々な興味と関心と角度から女川を学び、インドを学ぶ。それが相互理解と新しい日印友好の礎となりはしないか?そのような観点と趣旨により「インド女川学会」を設立するものである。皆さまの寛大なるご理解とご賛同をいただければ幸いです。

2017年 10月 21日 設立


月命日(第1回インド女川学会)


今日10月11日は東日本大震災から6年と7ヶ月目の月命日。あの日午後2時46分にM9.0、最大震度7という史上最大の巨大地震が発生。その約45分後の午後3時30分、津波が沿岸部に次々と襲いかかる。津波に襲われた町は壊滅、津波から逃げ遅れた人、避難所にいたにもかかわらず、想定外の津波に流された人、自分の命も顧みず、ギリギリまで懸命に人命救助を行った人など、多くの人が犠牲となった。震災から今日で6年7ヶ月。だが、いまだに行方不明の人も多い。町もようやく復興の途に着いた感がある。まったく手の着いていないところもある。これからさらに時間を要するところもある。その現状をどれほどの人が認識しているだろうか。

震災から2週間後の3月28日未明、インドからやって来た国際緊急援助隊46名(通称NDRF)は成田空港に降り立った。そこから約10時間をかけて宮城県へ移動。3月30日から4月5日までの7日間、宮城県女川町で行方不明者の捜索および救助救援活動に従事し、7人のご遺体と1匹の犬の遺骸を発見していたことをどれほどの人が認識しているだろうか。あの日現場で一体何があったのか。それらの出来事から私たちが学ぶ事は多い。近い将来必ず来るであろう次の巨大地震への防災・減災対策にもつながるヒント。それを活かさなければまた同じことの繰り返しになってしまう。

正しい認識につなげるため、自戒と教訓の意味を込めて、この度10月21日(土)國學院大學ホームカミングデーの場をお借りして、「第1回インド女川学会」を開催することになりました。詳細はこちらのポスターをご参照ください。日時はまもなく10月11日午後2時46分。犠牲者の方のご冥福と、2度と同じ悲しい思いを繰り返さぬよう、多くの方のご来場とを祈念して。(了)

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

日印友好交流年とは?


今年2017年は日印友好交流年です。『2016年11月,モディ・インド首相が訪日した際,安倍首相との間で,日印間の人の交流をさらに活発化させるため2017年を日印友好交流の年とすることに合意しました。折りしも2017年は,日印文化協定発効60周年にあたり,日本及びインドの両国において様々な交流事業を実施する予定です。こうした事業を通じて,両国の友好関係を更に強化し,様々なレベルと分野での交流が深化し,相互理解が一層増進されることが期待されます。』(以上、外務省ウェブサイト http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page25_000626.html より一部抜粋)そして、その日印友好交流年記念事業として、当サイトおよびそれに準じた事業および企画も、その認定を受けましたことをご報告いたします。つきましては、いままで以上に日印両国の相互理解と相互交流に資するような活動を続けて参りたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

日印友好交流年記念事業一覧 http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page25_000627.html

【東日本大震災インド国家災害対応部隊NDRFの活動記録】 – Activity Record of “NDRF” National Disaster Response Force from India to Japan in March 11th disaster –

日印友好交流年記念行事公式ロゴマーク
日印友好交流年記念行事公式ロゴマーク

あの津波、もし銀座だったら…あの日あの時の女川町


あの津波、もし銀座だったら…という見出しではじまるヤフーの広告が今、話題となっている。気象庁が岩手県大船渡市で観測した高さ16.7メートルの津波の痕跡。それは「ちょうどこの高さ」とビルの4階天井付近に、赤い帯線の上に白字で書かれてある。銀座でそれを見上げた人々は、一体どう思うだろう…。写真は津波により高く打ち上げられた自動車。ビルの上で横転している。もう一枚の写真は目測で約20m上のフェンスに突き刺さる瓦礫。いずれも震災直後の女川町で撮影した。あの日あの時そこには想像を絶した光景が広がっていた…広告には「この高さを知っているだけで、とれる行動は変わる。あの日を忘れない。それが、一番の防災」とも書かれてある。明日11日で震災から丸6年。明日も6年後のあの日あの時は女川町で迎える予定だ。

 ビルの屋上で横転する車(女川町黄金町付近で撮影)
ビルの屋上で横転する車(女川町黄金町付近で撮影)
目測で約20m上にあるフェンスに突き刺さる瓦礫(女川町荒立地区付近で撮影)
目測で約20m上にあるフェンスに突き刺さる瓦礫(女川町荒立地区付近で撮影)

あの津波、もし銀座だったら… ヤフーがビルに広告幕:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK377DPDK37UTIL0BS.html


月命日(建国記念日)


今日2月11日は東日本大震災から5年11カ月目の月命日。そして日本国建国記念の日でもあります。建国記念日はもともと戦前は紀元節と呼ばれ、初代天皇の神武天皇が即位された日に因み、明治6年に制定されました。しかしながら、紀元節は日本の敗戦にともない昭和23年に廃止。その後国民の努力により昭和41年「建国記念の日」として改定されて、現在に至っているということです。

(以上、大國魂神社ウェブサイト下記URLを参照。以下、同サイトより一部引用参照。)

■唱歌「紀元節」

一、雲に聳(そび)ゆる高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん大御世(おおみよ)を 仰ぐ今日こそたのしけれ

二、海原なせる埴安(はにやす)の 池のおもより猶(なお)ひろき めぐみの波に浴(あ)みし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ

三、天(あま)つひつぎの高みくら 千代よろずよに動きなき もとい定めしそのかみを 仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日のもとの よろずの国にたぐいなき 国のみはしらたてし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ

唱歌は明治21年2月に制定。宮内庁御歌所長であった歌人、高崎正風作詞、東京音楽学校創始者として知られる伊沢修二作曲だそうです。伊沢修二は教育家で戦前台湾に芝山巌(しざんがん)学堂を設立。台湾の日本語教育の先駆者でもありました。ちなみに、今日は神武天皇即位2677年目に当たることから、日本は今日で2677歳ということになります。

https://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/2-kenkoku.php

日本国国旗
日本