月命日(第1回インド女川学会)


今日10月11日は東日本大震災から6年と7ヶ月目の月命日。あの日午後2時46分にM9.0、最大震度7という史上最大の巨大地震が発生。その約45分後の午後3時30分、津波が沿岸部に次々と襲いかかる。津波に襲われた町は壊滅、津波から逃げ遅れた人、避難所にいたにもかかわらず、想定外の津波に流された人、自分の命も顧みず、ギリギリまで懸命に人命救助を行った人など、多くの人が犠牲となった。震災から今日で6年7ヶ月。だが、いまだに行方不明の人も多い。町もようやく復興の途に着いた感がある。まったく手の着いていないところもある。これからさらに時間を要するところもある。その現状をどれほどの人が認識しているだろうか。

震災から2週間後の3月28日未明、インドからやって来た国際緊急援助隊46名(通称NDRF)は成田空港に降り立った。そこから約10時間をかけて宮城県へ移動。3月30日から4月5日までの7日間、宮城県女川町で行方不明者の捜索および救助救援活動に従事し、7人のご遺体と1匹の犬の遺骸を発見していたことをどれほどの人が認識しているだろうか。あの日現場で一体何があったのか。それらの出来事から私たちが学ぶ事は多い。近い将来必ず来るであろう次の巨大地震への防災・減災対策にもつながるヒント。それを活かさなければまた同じことの繰り返しになってしまう。

正しい認識につなげるため、自戒と教訓の意味を込めて、この度10月21日(土)國學院大學ホームカミングデーの場をお借りして、「第1回インド女川学会」を開催することになりました。詳細はこちらのポスターをご参照ください。日時はまもなく10月11日午後2時46分。犠牲者の方のご冥福と、2度と同じ悲しい思いを繰り返さぬよう、多くの方のご来場とを祈念して。(了)

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

メキシコ地震における日本の国際緊急援助隊(救助チーム)派遣と帰国


9月20日(現地時間9月19日)メキシコシティーでマグニチュード7.1の非常に大きな地震が発生。奇しくも今からちょうど32年前の同じ日、1985年に死者約1万人以上を出した大地震が同じ場所で発生しており、そのときの様子をまだ記憶している人も多く、市内ではパニックが広がっていたという。その日も現地では避難訓練を実施していたその矢先の大地震。今回の地震でも相当の被害が予想された。

それに伴い非常事態宣言を発したメキシコ政府。日本政府はその政府からの要請を受け,行方不明者の捜索・救助を行うために、地震発生の翌9月21日から国際緊急援助隊(救助チーム)を派遣することを決定した。72名から構成された救助チームは21日に日本を出発、現地時間同日からメキシコシティー中心部の被災地、計3か所で捜索・救助活動を実施したという。そして救助チームはメキシコ政府との協議の上、一定の役割を終えたとし、本日26日(現地時間9月25日)に帰国の途についた。

日本政府としては引き続き、被害状況の更なる把握とともに、メキシコ政府のニーズ等を踏まえ,全面的な支援を行っていく方針だという。また、日本チームの活動に対して、メキシコ政府及び国民から深い感謝の意が表明されたという。その様子は在メキシコ日本大使館および在日メキシコ大使館公式ツイッターで詳しく報告されていた。(以下、それらを一部抜粋)

最後に、東日本大震災発災当時に、同じく日本へ救助・救援の手を差し伸べてくれたメキシコ。その派遣先は宮城県名取市と言われているが、実は宮城県女川町に派遣されたという記録も女川町役場に残されていた。偶然「どうしてインド隊が女川町に派遣されたのか?」を現地で調べていたときだった。はじめは「インド隊と間違えたのでは?」と思ったが、その資料には派遣先に「大原・清水地区」とあった。たしかにそこはインド隊が入っていない地区だ。だとしたら…当時いつどのくらいの規模でどの程度の活動をメキシコ隊は行なったのだろうか。

(参考)

【報道発表】メキシコにおける地震被害に対する国際緊急援助隊・救助チームの派遣 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005061.html

【報道発表】メキシコにおける地震被害に対する国際緊急援助隊・救助チームの帰国 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005073.html


月命日(おながわ秋刀魚収獲祭とナマステ・インディア)


今日は東日本大震災から6年と6ヶ月目の月命日です。震災で甚大な被害を受けた町、宮城県女川町。あれから6年と6か月。時間の経過とともに、町も徐々に復興を遂げつつあります。そんな女川町で震災前から数えて20周年となる「おながわ秋刀魚収獲祭2017」が、今年も9月24日(日)に開催されます。「新しく生まれ変わりつつある町」女川へ足を運んでみませんか?

また、女川町へはちょっと時間的に難しいという方に朗報です。9月23日(土)24日(日)の2日間、代々木公園で「ナマステ・インディア2017」が開催されます。国内最大級のインドの祭典ですが、震災以降ご縁のあった町、女川町を応援するブース「女川町ハウス」が、今年もナマステ・インディアに登場します。ブースでは女川町の物産も販売いたします。都内でお時間のある方は是非。

ナマステ・インディア in 女川町とは? 震災を機にはじまったインドと女川の文化交流。その関連情報をツイッターで配信しています。ツイッターアドレスは https://twitter.com/namaste_onagawa アカウントは @namaste_onagawa です。


【今日9月1日は防災の日】できることからはじめよう。


今日9月1日は防災の日。8月30日~9月5日までが防災週間となっている。この間防災・減災についてのさまざまなイベントや催しが企画されている。政府主催のものとしては、本日9月1日に行われる予定の総合防災訓練がある。

政府の総合防災訓練は午前7時すぎに、東京23区を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、各地で震度7や6強の激しい揺れを観測したという想定で行われる。

災害の規模やタイプにより、もちろんその後の避難行動は変わるだろう。でも、避難場所は共通の場合が多い。被災後の行動や避難所の確認、家族・知人・友人どうしで、命を守る防災・減災について、改めて思いを馳せる日としたい。

写真は東日本大震災での被災してまもない、宮城県女川町の状況。あのときは避難所でさえ決して安全なところではなかった。「うちは大丈夫だろう…」自然災害に対するそんな心のすきま、ちょっとした油断が、多くの命を奪っていった。

阪神大震災以降の教訓としては、公助から共助へ。共助から自助へ。防災から減災へと、被害とともに災害に対する私たちの取り組みも変化した。昨今特に世界的規模で激甚化する自然災害とはどう向き合うのか。災害大国日本の大きな課題である。

まずはできることからはじめよう。幸い大規模災害はいつ来るかわからない反面、頻繁に来るものでもない。時間はある。いつか必ずやって来るそのときに備えよう。

避難所だった女川町老人憩の家寿楽荘
避難所だった女川町老人憩の家寿楽荘
津波に飲まれたコリラックマ
津波に飲まれたコリラックマ
自衛隊による行方不明者の捜索
自衛隊による行方不明者の捜索
インド隊による行方不明者の捜索
インド隊による行方不明者の捜索
女川町消防団の緊急車両
女川町消防団の緊急車両