第2回インド女川学会のお知らせ


来る10月20日國學院大學平成30年度ホームカミングデーにて、第2回インド女川学会を開催いたします。震災以降に交流がはじまったインドと女川町。その交流を軸にインドについて、女川について考え、それを発表する場。それがインド女川学会です。第2回インド女川学会の日時とプログラムは以下の通りです。今回もインド大使館の協力により、大使館VCC専属ヨガ講師のへマント・シャルマ先生による座りヨガの実演もあります。座ったままの状態で簡単にできるヨガです。皆さま奮ってご参加ください。※入場無料です。

第2回インド女川学会
日時:2018年10月20日(土)14:00~16:30
会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室

プログラム(開場13:30~)

14:00-14:10 開会のことば

14:20-14:50 東日本大震災でのインド国家災害対応部隊NDRFの活動および当時の女川町の被害状況について②(國學院大學研究開発推進機構学術資料センター共同研究員 / インド隊通訳 平本謙一郎 氏)

15:00-15:30 ナマステ・インディア in 女川町と日印の文化交流について(元・東京家政大学付属女子中学高等学校芸術科書道講師37年勤務 / 現・同校書道部コーチ・同大学ヨーガ講座講師 / 日本インド学生会議創設者 長浜浩子 氏)

15:40-16:10 特別ヨガ・デモンストレーション(インド大使館VCC専属ヨガインストラクター へマント・シャルマ 博士)

16:20-16:30 閉会のことば(~17:00閉場)

会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室
住所:〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
主催:インド女川学会 協力:在日インド大使館
ポータルサイト:http://www.ndrf-onagawa311.info/ナマステ・インディア in 女川町公式ツイッター:@namaste_onagawa



 


月命日(7年前と7年後の女川町)


今からちょうど7年前の女川町。国道沿いには大量の瓦礫の山。この場所で女川湾から1km以上の地点。震災前はここから海も見えなかったし、住民でさえここまで津波が来るとは誰も思わなかった場所。それがこの付近。しかも到達した津波の高さは有に15m以上。場所によっては20mを超えていた。その様子は山の法面に付着した瓦礫や布などによって見てとれた。その凄まじさは津波の高さまで打ち上げられた住宅の屋根や車などが物語っていた。

宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜国道398号線(女川街道)付近 Around Route 398, “ONAGAWA KAIDO ROAD", Washinokamihama, Oshikagun Onagawacho, Miyagi Japan
宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜国道398号線(女川街道)付近
Around Route 398, “ONAGAWA KAIDO ROAD”, Washinokamihama, Oshikagun Onagawacho, Miyagi Japan

今、女川の町は急ピッチに復興が進んでいる。ここと同じ場所もかさ上げ工事が完了し整備され、新しい土地の上に災害公営住宅が建てられ、先々月末ようやく被災住民にその鍵が手渡されたばかりだ。7年後の3月11日。同じ場所に降り立ってみると、そこには新しい町があった。以前の面影はわずかな手掛かりを残すのみとなっていた。あの日あの時のことを想像すらできない。

 2018年3月冒頭の写真とほぼ同地点の様子
2018年3月ほぼ同地点の様子

話は変わって、先月下旬初めてタイ王国プーケット島のカマラビーチを訪ねた。今から14年前に起きたスマトラ島沖大地震の津波と被害を忘れないための津波祈念公園があるビーチ。ビーチに着いてもその当時の面影は全く無い。何があったのか想像もできない。もちろん防潮堤もない。でも、教訓はしっかりと生かされていた。津波危険エリアの明示と避難経路の確保。津波警報システムの導入などにだ。そして、その時に一番心に響いたのは実際の当時の写真だった。写真は良きにつけ悪しきにつけ雄弁だ。ありのままの現実をそのまま突きつける。でも、それは災害を他人事ではなく、自分事として考える一つのキッカケでもあり、またその事実が防災や減災について考える原点でもあることに改めて気づかされた。

時間とともに、記憶とともに、時代とともに、風化は進む。でも、決して忘れてはいけないこと。語り継いで行かなくてはならないこと。冒頭の写真が自分を守り、他人を守り、家族を守り、仲間を守る。災害から生命や財産を守る。そのことを考えるキッカケとなって貰えると有り難い。そして、新しく生まれ変わった町、女川へ皆に来てもらえると嬉しい。7年と1ヶ月の経つ東日本大震災の被災地は、まもなくその時を迎える。

当時目測で高さ30mほどはあった山の法面はその半分ほどに。一部法面の先端が地上に出ているだけだったので、かろうじてそこがどこであるのかわかる程度にまで、かさ上げ工事は進んでいた。場所の特定をするためのそれが唯一の手がかり。奥に見えるのは荒立災害公営住宅。
当時目測で高さ30mほどはあった山の法面はその半分ほどに。一部法面の先端が地上に出ているだけだったので、かろうじてそこがどこであるのかわかる程度にまで、かさ上げ工事は進んでいた。場所の特定をするためのそれが唯一の手がかり。奥に見えるのは荒立災害公営住宅。

台湾地震ー72時間の壁ー


台湾東部の花蓮市で2月6日23時50分(日本時間7日0時50分)頃、マグニチュード6.4の地震が発生。現地のホテルなど複数の建物が倒壊・損壊。現在までに9人が死亡、日本人を含む200人以上が負傷し、まだ連絡のつかない行方不明者が多数いる状態が続いているという。現地では余震も200回以上を数えており、二次災害の危険もある。そんな状況の中、現場では懸命の捜索が続いている。行方不明者の数はいまだ50人以上。倒壊・損壊した建物の中に閉じ込められている可能性が高い。しかし明日の夜には災害医療分野で生存の限界と言われる「72時間」を迎える。いわゆる「72時間の壁」である。一人でも多くの要救助者を救うための「時間との戦い」。ピンポイントで要救助者にアプローチする必要がある。そのためのスペシャリスト7人が、今日8日午前、台湾政府の要請を受けて日本から現地へ向かった。午後には現場での捜索に加わったという。活躍に期待したい。以下、これまでにあった出来事を一部ツイッター投稿で時系列にまとめておく。台湾加油!


メキシコ地震における日本の国際緊急援助隊(救助チーム)派遣と帰国


9月20日(現地時間9月19日)メキシコシティーでマグニチュード7.1の非常に大きな地震が発生。奇しくも今からちょうど32年前の同じ日、1985年に死者約1万人以上を出した大地震が同じ場所で発生しており、そのときの様子をまだ記憶している人も多く、市内ではパニックが広がっていたという。その日も現地では避難訓練を実施していたその矢先の大地震。今回の地震でも相当の被害が予想された。

それに伴い非常事態宣言を発したメキシコ政府。日本政府はその政府からの要請を受け,行方不明者の捜索・救助を行うために、地震発生の翌9月21日から国際緊急援助隊(救助チーム)を派遣することを決定した。72名から構成された救助チームは21日に日本を出発、現地時間同日からメキシコシティー中心部の被災地、計3か所で捜索・救助活動を実施したという。そして救助チームはメキシコ政府との協議の上、一定の役割を終えたとし、本日26日(現地時間9月25日)に帰国の途についた。

日本政府としては引き続き、被害状況の更なる把握とともに、メキシコ政府のニーズ等を踏まえ,全面的な支援を行っていく方針だという。また、日本チームの活動に対して、メキシコ政府及び国民から深い感謝の意が表明されたという。その様子は在メキシコ日本大使館および在日メキシコ大使館公式ツイッターで詳しく報告されていた。(以下、それらを一部抜粋)

最後に、東日本大震災発災当時に、同じく日本へ救助・救援の手を差し伸べてくれたメキシコ。その派遣先は宮城県名取市と言われているが、実は宮城県女川町に派遣されたという記録も女川町役場に残されていた。偶然「どうしてインド隊が女川町に派遣されたのか?」を現地で調べていたときだった。はじめは「インド隊と間違えたのでは?」と思ったが、その資料には派遣先に「大原・清水地区」とあった。たしかにそこはインド隊が入っていない地区だ。だとしたら…当時いつどのくらいの規模でどの程度の活動をメキシコ隊は行なったのだろうか。

(参考)

【報道発表】メキシコにおける地震被害に対する国際緊急援助隊・救助チームの派遣 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005061.html

【報道発表】メキシコにおける地震被害に対する国際緊急援助隊・救助チームの帰国 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005073.html